目指せ!社会復帰。
朝は起きるのが遅かったが岐阜市の黒田クリニック(心療内科)へ出かける。
車で行こうと思ったが、病院が市中心部で駐車料金もかかる。
それに母親が車で行かせたくなさそうに電車賃をカンパしてくれたので、名鉄電車で岐阜へ行く。
黒田クリニックには1000時過ぎについたが、渡された診察の順番札は27番目。
結局、診察を受けられたのは1300時近くだった。
待ち時間に松岡圭祐の『千里眼 岬美由紀』を読むが、終盤に差し掛かる。
担当医に健康保険による給付金申請書の記入をしてもらい、来年1月末まで療養を要する旨の診断書の作成をしてもらう。
正直、心療内科的な方面は全然快方へは向っていない。
9月は頭痛やめまい、吐気に悩まされ続けたし、10月は骨折で入院と、とても精神的な療養に集中できる状況ではなかった。
骨折が完治するには半年から1年かかるという話なので、いつになったら社会復帰できるのかめどがたたない。
現在の会社には1月末まで休職願いをするつもりだ。
しかし、これだけ休養が長引けばいい加減進退を考えなければならないだろう。
黒田クリニックを後にすると、PARCOの無印良品で買い物をして柳ヶ瀬マッサージへ行った。
久しぶりのマッサージで体は骨抜きになった。
いつものハマさんに体重増と体の硬さを指摘された。
仕方ないじゃん。運動できないんだから・・・。
Be-Hopへ顔を出し、住友銀行と十六銀行に寄り、名鉄で岐阜市を後にした。
地元の扶桑駅に戻るとすっかり暗くなっていたが、それから扶桑町内の水野整形外科へ行った。
骨折部の接合手術をした昭和病院から自宅近くの水野整形外科へ紹介状を書いてもらったのである。
レントゲンを撮ってもらうが、手術した状態から骨のズレ等はないとの所見であった。
しかし、患部をできる限り動かさないようにするため、シャーレという半ギブスの常時装着と、松葉杖の使用を強く義務付けられた。
正直、松葉杖は必要なくなっていると思っていたため、ショックだった。
しかし生活で足はよく動く部位であるため、足の骨折は治りにくいらしい。
早く治したいのなら、最善策をとるしかない。
しばらくは骨折と仲良く付き合っていくしかなさそうだ。
今日から願掛けのために、足が完治するまで一切酒を飲まないことにする。
写真:名鉄電車新岐阜駅 鵜沼・犬山方面のプラットホーム。扶桑~新岐阜間を名鉄で移動するなんて、中学時代以来のことである。