クリスマス・イブの1日。

 朝は700時起床。
 800時には岐阜へ向う名鉄電車の中だった。
 毎日900~1000時起床が定着している俺にとってはかなり早起きで、辛かった。
 
 岐阜について受付開始時間に合わせて黒田クリニックに行く。
 黒田クリニックでは、既に5人の患者さんが受付を済ませていた。
 ここはいつきても混んでいる病院だ。
 これほど心を病んでいる人が多いのかと思うと、切ない。
 俺自身には自覚症状はないが、診断がそのようにされている。
 だから、俺も心を病んでいるということなのだが。 
  
 診察の順番待ちの合間に、近くの郵便局へ行く。
 オークションとアマゾンで売却した商品や書籍を発送した。
 いつも思うが、やっぱり郵便局の職員というのはパットしない。
 民営化するんだからちゃんとサービス精神を身につけろよってなもんやの白木だ。
  
 黒田クリニックに戻り、しばらくして診察。
 担当医の先生には今後の予定を報告する。
 先生は聞き手一方になってしまっていた(笑)
 狭心症もストレスから発生したものと思っている。
 狭心症が万が一心筋梗塞に発展することがあれば、俺は50%の確率で死亡するのだ。
 職場環境が原因ならば、7年半のキャリアにこだわってはいられない。
 なにより生きていることが大切なのだから。
 それに骨折が治って、エクササイズができるようになれば、失調症も発症しなくなると信じている。
  
 診察を終えて近くの処方薬局で薬を買うと、予約してあった床屋に行く。
 なじみの店だが、岐阜に来る機会がないとこられない。
 床屋というのはやっぱり慣れたところがいい。

 床屋のあと、自転車屋へ行くと、丁度店長が店を開けていた。
 例によって店長と昼飯を一緒に食べる。
 店長に店の商品を店のホームページに載せて通販したらどうかと提案する。
 店長はパソコン関係が苦手らしく、冗談半分で俺が「アルバイトしようか?」などと話す。
  
 昼食後、岐阜市民病院へ。
 予約の時間より30分以上早くついた為、すいていた待合室のベンチを何人分も占領して眠る。
 診察は経過確認に終始した。
 発作が発生したこと、処方薬で対応したこと、今後も定期的に診察をすることを確認する。
 この担当医の先生もいい先生で、俺はとても信頼している。
 しかし、発作が発生して処方薬で対応できたことは、俺が確実に狭心症であることを示している。
 俺は正直発作が発生するまで、本当に自分が狭心症なのか疑っていた。
 狭心症は高齢者に多く、俺のような30歳前後の人間がなる病気ではない。
 しかし、間違いないのだ。
 でも担当医の話では生活には支障ないし、大好きなアウトドアスポーツもガンガンできる。
 腰痛(腰椎分離症)同様、薬を携えて、仲良く付き合っていくしかない。
 
 岐阜市民病院のあとは、予約してあった柳ヶ瀬マッサージに行く。
 いつもの指名のハマさんにマッサージを受ける。
 運動が全然できず、自宅でヒキコモリ状態の俺は体がゴムのようである。
 久しぶりのマッサージは効いた。
 眠っていた体が起こされるかのようだ。

 マッサージ屋を出ると、名鉄電車で帰途につく。
 いつも車内には小説を持ち込むため、窓の外を流れる景色はあまり観たことがなかった。
 しかし持ち込んだ小説を午前中の病院で読みきってしまった為、珍しく車窓から外を眺めていた。
 各務原市を通ると、高校時代に自転車のトレーニングに走った丘陵地が見えた。
 足が治ったら、しばらく実家からまた走りに行こう。
 ぶくぶく太って、なまりきった体を鍛えなおすんだ。

 帰宅してしばらくしたら、夕食だった。
 いい大人しかいないうちの家庭にもクリスマスはやってきていた。
 母親がうれしそうにケーキとチキンをたんまり買い込んできていた。
 去年の日記にも書いたが、俺はクリスマスを否定するつもりはない。
 欧米人はクリスチャンでもない日本人がクリスマスを楽しみにすることをなにもおかしいとは思ってない。
 クリスチャンでもないのにと否定する日本人がいるのはどこか後ろめたさを感じているからだ。
 日本人にとってのクリスマスは、カップルが愛を語り合い、ファミリーがケーキを分け合う、そんな素敵な日でいいのだと思う。
 しかし、久しぶりの実家でのクリスマス・イブだ。
 十何年ぶりだろうか?
 1日中歩き回ってヘトヘトだったけど、普段あまり好きではないケーキがおいしく感じられて、幸せな気分だった。