岐阜撤収開始。
いよいよこの日が来た。
今日から3日かけて岐阜のアパートから撤収する。
今日はアパートの荷物を全て搬出して車に積込む作業を行った。
実家へいくつか下ろし、明日南木曽の家へ搬入すべく長野へ出発する。
あまり広くもないウチの実家に膨れ上がった俺の荷物を置くスペースがないのであるw
就職してから7年半の歳月を岐阜地域を根城に生活した。
1997.4~2001.6:本巣郡真正町(現 本巣市)
2001.7~2002.5:アメリカ
2002.6~2002.9:帰国後一時的に実家滞在
2002.10~2004.9:岐阜市長良地区
親元を離れたのは初めてであったし、7年半(実質6年あまり)という年月の長さに感傷的にならざるを得ない。
7年半の間に岐阜で知り合った人も少なくないし、行きつけの床屋やマッサージ、自転車屋もできた。
何より仕事で県内中を駆け回り、全くなかった岐阜県の土地勘も得た。
隣の県であり、同じ東海地区でありながら、経験した言葉や文化の違いも少なくなかった。
今回実家に戻るにあたり、感慨深いものがある。
岐阜がどんなところだったかと聞かれると、一言ではいい表せないが、「別の世界を見た」というのが大きな印象だ。
かつて「日本で最も発展しない街」と酷評された岐阜だが、なじむにはサイズが俺には合っていた気がする。
そこそこ都会で、そこそこにぎやかで、そこそこ田舎で、そこそこ人がいる。
確かに都市としての評価は客観的に見ると低いと感じざるを得ない。
しかし、俺はそんな岐阜の街が好きだ。胸を張ってそう言える。
そして、1人暮らしすることによって学んだことは多かった。
まずアパートを自分で借りたことがなかったし、車を自分で買ったこともなかった。
また、幸か不幸か料理や生活その他家事一般が身についてしまった。
最近では戻った実家で家事について、母親より小うるさいと言われる始末である。
確かに仕事漬けだった時間が多く、決して思い出は多いものとは言えない。
でも見かけによらず色恋沙汰なんかもいろいろあって、思い出すたびに切なくなることもあれば、苦笑いせざるを得ないこともある。
振り返れば、岐阜で過ごした時間は、いい意味でも悪い意味でも充実していたのではないかと思う。
あ、これを読んでいただいている方へ。
自宅休養加療中の身ではあるが、まだ今の会社を退職するという話ではないので、そのあたり誤解のないように。
そういえば今日、NTTから電話があって、実家には光ファイバーもADSL回線も来てないそうで、「申し訳ありませんがご契約はできません」とのことであった。
実家でネットをやろうとすると、なんとAirH"の128kbが最速なのである(苦笑)
モバイルやんけそりゃ・・・実家がド田舎だということを忘れていた自分であった。
かなりショックであるwww;
こうなりゃAirH"復活(一昨年契約していた)しかないのだが、
デスクトップにAirH"の端末つなぐのは少し情けないものがあるな(笑)
写真は長良橋通り。県図書の行き帰りによくMTBでバスとバトルした通りである。この路面電車も今年度末で廃線である。