自由。

 最近日常の足として自転車に乗り始めた。
 毎日の通勤。
 休日にブラブラ。
 図書館へ勉強しに行くのも自転車。
 なんかうまい言い方が見つからないが、自転車ってこんな乗り物だったんだ、そんな感覚を取り戻している今日この頃である。

 最近はすっかり乗り方みたいなものに固定観念を持ってしまっていた。
 たとえば、MTBを持っていたら、オフロードを走らなければならないとか、走るんだったら速さを追及しなければならないとか。高価な自転車に乗っていたら速くないと恥かしいとか、乗らなきゃもったいないとか。ポタリング程度なんか走ったうちに入らないとか。

 そんなことを考えているうちに、自転車に乗るということを、「こういうものでなければならない」と決め付けてしまっていた。
 あーでなきゃならない、こーでなきゃならない。
 自転車に乗り始めて13年になるが、知識や経験を増やすあまり、自分の中で理想みたいなものが勝手に大きくなりすぎてしまっていた。
 乗るならこーでなければ。
 そんな無意味なこだわりが自転車に乗ることを億劫にさせてしまい、自分で勝手に乗る機会を減らしてしまっていた。

 大人になると、なんでも行動に理由をつけるようになっていけない。「これは練習だ」「これは気分転換だ」「この高い自転車はこういう理由で買った」「せっかく買ったのだから走らなきゃならない」
 やることなすこと、理由考えて、言い訳するなんてあほらしい。
 そんな理由は他の誰のためでもない、自分のためだ。

 スタイルだって気にしない。どんな自転車で、どんな格好で、どんなところを走ろうと、別にいいじゃないか。レース?ツーリング?別にそんなもの、でなくたっていいだろう。いかなくたっていいだろう。
 誰かにあわせる必要はない。自分のペースで往けばよい。
 走りたいところを、走りたい時に、走りたいように走れる。

 自転車は自由な乗りものだったはずだ。

 社会人になると、乗る時間も限られてくる。そんな限られた時間でさえ、どうして縛られなければならないのか。こうでなければならないという変な「スタイル」に染まってしまっていた。
 気づいてよかった。
 危うくどんどん自分で自分が自転車に乗れないように追い込んでしまうところだった。